ポカラという町に2週間ほど滞在した。
ネパール第2の町で、風光明媚な田舎町だ。宿(ヤドという名の宿だった)の前には湖がある。湖では毎日、タナゴのような小さな魚をパンで釣り、それを餌にして「バン」という名のワニぐちの魚を釣った。湖の向こうにヒマラヤが見える。ダウラギリ、アンナプルナといった8000m級の山々だ。
ヒマラヤに少しでも近づきたくて、2日間だけのショートトレッキングをした。
トレッキング序盤は素晴らしい景色だ。ヒマラヤの白、空の青、青緑色の川、黄緑の水田、低山の深緑が絶妙な色合いだ。
池で泳いでいる子ども達を写真に撮っていると、よってきて、1枚の紙切れを突き出した。
「村にサッカーチームを作ろうとしているのですが、サッカーボールも買えません。いくらか寄付してください。」
名前と国籍を書く欄があり、書いてから20ルピー(60円)をわたした。
(ウソだろうな。)と思ったが、あまり疑ってばかりじゃよくないな。と思い直しての20ルピーだった。
すると子ども達は足りないので100ルピーくれと言い出した。断ると「全員に20ルピーくれ」と言う。それも突っぱねると、最後には「ペンをくれ」と言い出した。おいおいと思ったが、「君達はサッカーボールが欲しかったんじゃなかったのか?」と断ると、やっとその子たちは引き上げた。
その子ども達が帰った後、情報を聞きつけたのであろう他の子ども達が、ニコニコしながら駆け足で追いかけてきた。そして、「マネー!」と言いながら手を出した。子ども達の笑顔に嫌悪感をおぼえ、睨みつけながら「WHY?」と威嚇するような声で問い詰めた。子どもたちはびっくりしたような、おそれたような顔をした。間をおかず、「Back your home!」と怒鳴っていた。
子ども達が、逃げ帰った後、後味の悪さが満ちていた。
彼らは間違いなくサッカーボールなんて買わないだろう。偽の寄附帳まで用意してサギみたいなもんだと思った。しかし、彼らが悪いのか?
少なくとも私は「帰れ!」なんて、怒鳴るべきじゃなかった。
次の日、朝6:00に目が覚めた。小さな四角い木の窓を開けると、窓いっぱいにマチャプチャレが飛び込んできた。マッターホルンに似た(マッターホルンを良く知らないが)素晴らしい山だ。窓枠がちょうど絵画の額縁のようだ。ヒマラヤが良く見える、丘の上の宿だと聞いていたが、昨日は、曇っていて見えなかった。外に出ると、雲ひとつない空に、ヒマラヤがそびえていた。前日のモヤモヤは薄れていた。
宿を出て、しばらく行くと、ホテルで見た女の子が笑顔で追いかけてきた。昨夜の食事の時に楽しく話をした女の子だ。その宿の従業員か娘であろう。お願いして、ヒマラヤをバックに
写真をとってもらった。女の子も撮ってほしいという。素朴で可愛い女の子だったので、鼻の下を伸ばしながら快く承知した。ビスケットをくれないかというので、石の上に座りながら一緒に食べた。
立ち上がり、別れを言おうとすると女の子が伏し目がちに話を始めた。
「おなかがすいているの。学校は山を越えた向こうにあるのだけど、おなかがすいて行かれないの。お金がなくてゴハンを食べてないから・・・」そして、最後に女の子はお金を下さいと言った。
「悪いんだけど、お金はない。」
反射的に答えていた。
言いながら。気分が再び沈んでいくのを感じた。
ある町では、22歳の小学校の先生だという若者に、山間の小学校を案内された。粗末な施設の学校だった。2つの教室に1つの黒板、いくつかの椅子だけの学校だった。電気もなかった。
「もし・・・良かったら・・・いくらかの寄付を下さい。よかったらでいいのです。」
今までとは違う謙虚なものの言い方だった。しかし、これまでのことがあったので、私は「ノー」といった。「10ルピーでも良いのですが・・・」という彼に「申し訳ないが、俺は学生だから人にあげれるお金はないんだ」と言った。
直後、彼の態度は急変し、私を睨んで悪態を吐きながら、その場を去っていった。彼の態度が変わったことで、かえって私の気持ちは救われた。
ポカラに帰るまでに、同様の手口に嫌になるほど出会った。そのたびに「お金がどのように使われるかが、わからなけば俺は・・・」「寄付っていうのは・・・」「あなた達はツーリストに金を要求するが、本当に必要なのは・・・」「出せないっていうのは、1ルピーだろうが1000ルピーだろうが・・・」と語り、全ての寄付を断った。しかし、彼らへの語りは全く意味を持たなかった。
ついには相手をするのに疲れ果て
「I can’t speak English」といってその場を逃れるようになっていた。
やりきれない気持ちの中で、「恥ずべき行為」について考えていた。寄付と偽ってお金を得るというのが悪いことだというのは、我々にとって普通の価値観である。しかし、このような手段であってもお金を獲得するというのは、彼らにとっては生きるための「仕事」であろう。「サッカーボールうんぬん」という英文は、より「効率的」な手段である。彼らの貧しさの上に私の旅は成り立ち、日本の物質的豊かさもまた、そういう国々の貧しさの上に成り立っている。彼らを責める理論はその時の私にはなかった。
旅を続けるとタフになってくる。少々のことでは動じなくなる。この後行ったインドでも幾度となく同様なことがあったが、この時ほど心をざわめかせることはなかった。ショックなこと、落ち込むことか
ら、精神を守るためかもしれない。「打ちのめされた精神が自己防衛本能で自らの感覚をマヒさせる。」
私が得たタフさが良いことなのかは分からない。そもそも善悪という定義自体が絶対のものではないのかもしれない。様々な問題から目を背けながら、私は旅を続けていた。はっきりしていたのは、ある種のタフさがなければ、旅は続けられないという思いだけであった。